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2020年03月23日

宮城まり子さんのご逝去の報に接して

 23日、ねむの木学園の宮城まり子さんの訃報が届きました。偶然にも前日、母と「まり子さん」のことを話したばかりでした。寂しさが募ります。
 宮城まり子さんと私の出会いは、川越市民会館大ホールでのまり子さんと子供達の舞台でした。母が母の姉(新珠三千代)とともに女優であったこと、母が日本大学でまり子さんのご主人、吉行淳之介さんの講義を受けていたことなどもあって、長年のお付き合いが続いているなかで、私も繋がりました。
 私が障害者政策をライフワークにしているのは、ねむの木学園との出会いが大きく影響しています。
 様々な障害とともに、素晴らしい絵の才能があったり、集中力に秀でていたり、自分の心に素直だったり、時には自らのコントロールが難しくなることもあれども、優しさや思いやりなど、豊かな感情を表し、私たちが日常生活で忘れがちな“純粋さ”を感じさせていただくとともに、本質に気づかされます。
 議員として活動を重ねていく中で、大切にしたいと思いを強くしてきました。
 母とねむの木学園の運動会の練習会を見学したとき、子供達が真っ白な体操着を身に着けるとともに、室内の家具も白色でした。「汚いと思われたくない」からとの思いで清潔を保つようにしているとお聞きしました。
 ねむの木学園には、家に帰れないまま大人になり、高齢化していく重度の障害者もいます。まり子さんは、将来に備えて、施設拡張や農業とカフェ運営などにもとりくんでいると熱く語られていました。
 まり子さんの優しい話し方の裏腹に、愛情込めて命懸けで取組む決意が、声の奥から伝わり私は圧倒されるばかりでした。ステージなどで表に立つときの、あの笑顔。女優でいらっしゃることも、強く感じました。
 心のバリアフリーは僅かな時間では醸成されません。宮城まり子さんが社会に対してねむの木の子供達の可能性といとおしさを紹介してくれたことに改めて感謝と敬意を表し、心からご冥福をお祈り申し上げます。ありがとうございました。

2007年5月、都内での「まり子元気」展会場で
2004年、衆院当選一期目に、党機関紙「プレス民主」記事として宮城まり子さんとの対談を掲載

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